岐阜高等学校 校歌(斉唱)
【解説】
この校歌は明治45年1月〜3月の間に誕生したと言われていますが、はっきりとは分かっていません。当時、作詞の松平静氏は本校の教師、作曲の伊藤栄治氏は松栄堂の主人でした。冒頭の「千仞」は山などの非常に高いさまを表しており、「華陽の健児」の華陽は山の南の地、つまりそこにいる血気盛んな若者という意味です。「学海の波荒くとも、希望の岸遠くとも」という対句は「海・波・荒く・岸」という縁語が用いられた表現で、「わが高校の」の部分は、かつては「わが中学」と歌われていたようです。「挙げよ」は高校の栄光をさらに高めよ、と呼びかける言葉、そして結びの「諸共に」は「挙げよ」にかかりますが、あえて末尾に置くことでぐっと連帯意識を高めています。
(参考 岐高新聞『新々校歌解釈研究』)