古往今来

2023(令和5)年7月

第10話 ■プールができた頃のこと

 改築前の岐阜高校にはプールがありました。校史資料室に保存されている同窓會會報・第四號(1951(昭和26)年5月刊)には、当時の伊藤喜一校長(第27代、在任1947~1954)による「プール完成の喜び」という一文があります。1950(昭和25)年にプールが完成して同年9月に行われたプール開きのことも記され、伊藤校長の言葉からは、戦後の復興が国の急務であった中で教育環境復興の一事を真摯に考え、その着実な進捗を喜び、希望に燃える様子が伝わってきます。

 

 母校復興計畫の一つとして、前にはなかつたプールを建設したいと考えていました。幸にして昭和二十五年度の復興事業の一つとして、武道場の跡にプールを建設する事となり、PTA・縣・市・同窓各位の御援助で二十五米七コースの立派なプールが出來上り、去年の九月十五日に盛大なプール開きを催すことが出來ました。
 當日は、プール建設委員長として格別御盡力下さいました岐中水泳部創設者の一人である大正十五年卒の杉山育造氏が初泳ぎされ、セメンダル❶然たる巨軀をかつて相當のスピードで五十米泳がれたには感心いたしました。御主人と共にプール建設資金募集に格別のお骨折り下さいました杉山夫人が、御主人の初泳ぎ振りをじつと見ながら、もう年をとつたから駄目ですねと申されつゝも嬉しそうでありました。來賓として兵藤秀子さん❷がブレストで泳いで下さつた事は非常な感激でありました。水泳連盟の方々、本校職員生徒入り乱れての競泳で、一日を有意義に愉快に過すことが出來ました。
 母校復興の構想が斯くして一つ一つ實現して行くということは、小生として筆舌に現わし得ぬ喜びであります。この大事業を着々進めて行けますのも、一重に同窓各位の陰陽御援助の賜物であります。心から御禮申し上げます。昭和二十六年度には音樂堂建設を念願いたしています。今後一層同窓各位の御援助を煩わさねばならぬと存じます。よろしくお願い申し上げます。
 復興が着々進むにつれ、生徒も漸く落ちついてじつくり勉強してくれるようになりました。昔の岐中岐高女實現という私の悲願も、悲願ではなく実現されそうであります。有難い事です。それのみ樂しみに日々奮勵いたしています。同窓各位の御支援御鞭撻を重ねてお願い申し上げます。 
 

昭和二六・四・二三記

  時は流れて1991(平成3)年10月10日(木)、テレビドラマ「前畑がんばれ」(NHK総合、19:20~21:15、出演:清水美砂、村上弘明、丹波哲郎、笹野高史、財津一郎、原日出子ら)が放送されました。岐阜高校のプールは、古い感じが残るとして「前畑がんばれ」の撮影に使われました。
 撮影に立ち合われた当時の水泳部顧問にお話をうがかうと、コースロープはNHKが用意した麻縄に張り替えられ、主人公と外国人が泳ぐ場面は代役の泳者(日本人とドイツ人)で、水泳部員も一緒に泳ぎました。撮影は約3時間をかけて行われた、とのことでした。
 2008(平成20)年4月から始まった校舎改築のⅠ期工事では、58年間プールがあった場所に管理棟ができ、その後、跡地近くの植栽にモニュメントが置かれました。これは水泳部OB会によって贈られたもので、2011(平成23)年9月に関係者が出席して除幕式が行われました。モニュメントの一部には加工されたプールのタイルが使われています。

プールを記念するモニュメント
プール脇にあったメタセコイアの切り株を使った作品(伊藤 茂教諭・制作)
(管理棟1階・玄関に飾られています)

「古往今来」の筆者による註記
❶「セメンダル」(セメン樽)はセメント樽のことです。セメント出荷時の容器には、昭和初期まで木製の樽が使われ、その後現在のようなクラフト紙の袋に変わりました。セメント樽は、その形から、太った人の比喩に使われました。
❷「兵藤秀子さん」は水泳選手で、1932(昭和7)年のロサンゼルス五輪大会の女子200㍍平泳ぎで準優勝、続いて1936(昭和11)年のベルリン五輪大会の同種目で優勝した前畑秀子氏です。彼女は和歌山県橋本市に生まれ、椙山女子専門学校(現・椙山女学院大学)を卒業しました。日本人女性で初めて五輪金メダルを獲得し、結婚後は兵藤の姓になりました。椙山歴史文化館では2014(平成26)年に「前畑秀子生誕百年展 その生涯から学ぶ」が催されました(橋本まちかど博物館・橋本市郷土資料館と同時開催)。

参考文献:同窓會會報・第四號(1951年)


岐阜県立岐阜高等学校・同窓会事務局 岐阜市大縄場3-1 岐阜高校・校史資料室内