古往今来

2024(令和6)年8月

第23話 ■〝昆虫翁〟名和 靖と旧制岐阜中学《明治の群像・3》

 

 

 名和 靖(1857~1926)は、美濃国本巣郡十五条村(現・岐阜県瑞穂市重里)に生まれ、明治・大正時代には昆虫学者として知られ、「昆虫翁」と呼ばれた人です。
 名和は幼時から昆虫が好きで、1878(明治11)年に岐阜農事講習所(現・岐阜県立岐阜農林高校)に入学し、1882(明治15)年に岐阜県農学校の助手となりました。1886(明治19)年には東京帝国大学に半年間入学して中学教諭免許を取得し、その後、岐阜県で旧制中学校、尋常小学校の教員となりました。
 1886(明治19)年には、3月に帝国大学令、4月に師範学校令・中学校令・小学校令が公布されました。これによって小学校の義務教育制が確立したことに加え、4月新学期、一学年1年間制、夏休み・冬休み、入学試験、修学旅行・遠足、式祭日行事、運動会などが始まりました。同年5月には、1880(明治13)年に岐阜県第一中学校と岐阜県師範学校が合併してできた岐阜県華陽学校が、岐阜県中学校と岐阜県師範学校に分かれました。
 名和は1883(明治16)年の春に郡上郡祖師野(そしの)村(現・下呂市金山町祖師野)で新種のチョウ(蝶)を発見し、ギフチョウと命名したことでも知られています。彼は、1883(明治16)年に岐阜県華陽学校助教諭試補、1887(明治20)年に岐阜県中学校(岐阜県尋常中学校)助教諭(博物学科)になっており、岐阜高校の前身と少しの間、縁があったことになります。  その後の名和は、1896(明治29)年に私設の名和昆虫研究所を岐阜市京町に創設し、益虫保護・害虫駆除・シロアリ防除など応用昆虫学の研究を行いました。同研究所は岐阜市の要請で大宮町(岐阜公園内)に移設され、名和昆虫研究所記念館が1907(明治40)年、名和昆虫博物館が1919(大正8)年にそれぞれ開館しました。現在、博物館の前にある「昆蟲碑」は、昆虫供養のために自身の還暦を機に建てられたものです。

驅蟲之碑(碑文の上部に蝶が彫られている)
  (本願寺岐阜別院、岐阜市西野町)

 

本願寺岐阜別院(岐阜市西野町)に「驅蟲之碑」があります。この碑は、名和の功績を顕彰すると共に駆除された昆虫を供養するために、岐阜県下真宗派同志会などにより1912(明治45)年に建てられたものです。
 碑文には「駆蟲ノ靈タルモノ亦以テ瞑スベシ」と、駆除された害虫の霊もまた弔われるべきことが刻されています。全ての生き物、全ての昆虫は自然界の恵み。虫を益虫と害虫とに区別するのは人間の都合次第であることに改めて気付かされます。

参考文献
「岐高百年史」清 信重著(1973年)


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