
2025(令和7)年6月
校史資料室にある雑誌「華陽」から原 徹一に関する記事をご紹介します。記事からは岐中健児の熱気が伝わってきます。

(同誌はコピーが製本されたものです)
先ずは、〈彙報〉より「創立記念大運動會記事」の冒頭です。創立記念日に大運動会を開催するにあたって健児らの意気軒昂な様が荘重な文章ながら活写されています。この年は、当日が伊藤博文の国葬にあたり、大運動会は翌日に延期され、秋の晴天に恵まれて催行されました。
十一月四日は吾校創立記念日也。例年此の日を卜して創立記念大運動會を催す。然も本年たるや、偶々異境に於て兇手に殪れたる藤公國葬日に當り❶。加ふに昊天公の死を哀悼するか、陰雲天に漠々として終日秋雨粛々たり即ち之を翌五日に送る。夜來の雨、曉に歇んで秋空青澄、以て六百健兒が愁雲を開き金風は颯々として黄葉樹頭を動かし、更に滿庭を飾る幾萬の彩旗を吹く、爲めに紅黄青白の彩旗飜々として紺青の秋空に飜りて美觀たり。
あゝ秋氣人に爽かにして天は清朗、華陽六百健兒が双頬に青春活氣に燃ゆるの生氣あり、折柄中空に轟く煙火の音、地に起る喨々たる樂隊の吹奏は健兒が肉を躍らし血を湧かし、鐵腕撫して鐵脚踏み鳴らして鶴首開會を竢つ。
開會十時、定刻に遲る事一時間也。
◇
次は当日のプログラムで、競技名が続きます。競技の名前からは時代を感じると共に、大運動会の雰囲気を味わうことができます。走る競技が多いことが特徴的で、しかも1日に全部で60余の競技を行うというのは、昨今と較べて大規模で、生徒の気力と体力は並々ならぬものだったこともうかがえます。
この年は赤組が優勝したようで、大会を振り返る文には、競技を終えた熱気の余韻と一抹の寂寥感が漂います。11月初旬の日の入りは17時少し前ですから、「時既に五時を過ぎ」た頃には辺りは暗くなり始めていたことでしょう。
○第一回 フートボール❷(分) ○第二回 二百米 ○第三回 旗拾ひ
○第四回 六百米 ○第五回 竹馬 ○第六回 旗拾ひ
○第七回 二百米 ○第八回 一年級クラスリレー ○第九回 六百米
○第十回 重荷 ○第十一回 二百米 ○第十二回 旗拾ひ
○第十三回 嚢脚 ○第十四回 二百米 ○第十五回 二年級クラスリレー
○第十六回 二百米 ○第十七回 旗拾ひ ○第十八回 四百米
○第十九回 二百米 ○第二十回 三年級クラスリレー ○第二十一回 八百米
○第二十二回 旗拾ひ ○第二十三回 四百米 ○第二十四回 六百米
○第二十五回 二百米 ○第二十六回 六百米 ○第二十七回 有志千米
○第二十八回 八百米 ○第二十九回 四百米 ○第三十回 赤十字
○第三十一回 二百米 ○第三十二回 六百米 ○第三十三回 武装競争
○第三十四回 二百米 ○第三十五回 重荷 ○第三十六回 綱曳き
〇晝食
○第三十七回 フートボール(分) ○第三十八回 野試合 ●一年級団体運動
○第三十九回 四年級クラスリレー ○第四十回 旗拾ひ ○第四十一回 二千米突❸
○第四十二回 人馬盲目 ●二年級団体運動 ○第四十三回 竹馬
○第四十四回 千米 ○第四十五回 四百米 ○第四十六回 権現山競争
○第四十七回 竿飛び ○第四十八回 障害物競争 ○第四十九回 有志障害物
●三年級団体運動 ○第五十回 岐阜高等小學校各部選手競走(六百米)
○第五十一回 尋常小學校兒童競走 ○第五十二回 高等小學校兒童競走
○第五十三回 旗拾ひ ○第五十四回 五年級クラスリレー ○第五十五回 千米競走
○第五十六回 二百米突 ●四五年級聯合發火演習 ○第五十七回 四百米
○第五十八回 チャンピオン、レース ○第五十九回 二百米突
○第六十回 有志五分間競走 ○第六十一回 二百米突 ○第六十二回 四百米突
○第六十三回 職員競走 ○第六十四回 卒業生競走 ○第六十五回 来賓競走
赤組 勝
時既に五時を過ぎ、六百の健兒が活氣猶勃然として躍動すれども、秋暑に情なく、宏大雄麗なるグラウンドもいつしか蒼然たる暮色の蔽ふ所となりしを奈何せむ。終に止むなく二三の競技は省かれ、茲に號砲殷々として天に轟く三度びにして此の壯快なりし秋期大運動會は閉ぢられたり。
「古往今来」の筆者による註記
❶「藤公」は、1909(明治42)年10月26日、ロシア蔵相と満州・朝鮮問題に関する会談で訪れたハルビン(哈爾浜)駅で民族運動家によって射殺された伊藤博文のことで、国葬が11月4日に日比谷公園で行われました。
❷「フートボール」はfootballのことで、ボールを足で蹴って運ぶ競技と思われます。
❸「米突」は「米」と同じでメートルのこと
参考文献
「華陽」第四拾八號(岐阜縣立岐阜中学校華陽會、1910年)
岐阜県立岐阜高等学校・同窓会事務局 岐阜市大縄場3-1 岐阜高校・校史資料室内