古往今来

2025(令和7)年11月

 

 岐阜空襲の痛手を受けた大縄場校舎、その復旧工事(第一期から第四期)は戦後営々と続けられ、第四期復旧工事は1952(昭和27)年に終わりました。次いで理科棟・北舎が完成し、1962(昭和37)年からは本館改修工事が始まりました。時代は高度経済成長のとば口でした。
 本館改修工事では、第一期に東半分、第二期に西半分が改修されました。そして1966(昭和41)年2月に第三期工事が完了して本館は最終形となったのです。創立90年は1963(昭和38)年にあたりますが、本館改修工事が行われていたために記念行事などは延期されていました。
 校史資料室には「本館落成並九十年記念絵葉書」が保存されています。この絵葉書は、本館・図書閲覧室・北舎の三枚組になっています。

 上の写真は記念絵葉書の紙ケースで、真新しい本館の意匠です。改修前の本館中央部は2階建てでした。2階部分にある波形の意匠の庇は改修で造られ、車寄せの鉄枠飾りは戦災で焼け残った物が使われました。(⇒第41話「昭和100年・戦後80年/1(前編) 節目の年のできごと」の挿絵と較べると終戦時の状況が判ります)
 この頃の玄関の両脇はすっきりとしていて、手前側にあったシダレザクラとさざれ石(⇒第1話「創立120周年記念のさざれ石」 )、玄関をはさんで向こう側にあったヒメコマツ(姫小松)は、この時にはまだありません。なお、奥には旧体育館が見え、その手前にある建物は華陽高校給食室と思われます。  完成後の本館は4階建てになり、4階は普通教室、3階の中央部には図書室がありました(次の写真は図書閲覧室の記念絵葉書です)。なお、それまで本館の前にあった独立した建物の図書館は、会議室・演劇部部室・倉庫などとして利用されました。

 本館落成式と創立90周年記念祝賀式が行われた1966年には奇しくも岐阜県庁、岐阜市庁が共に新しくなりました。
  『岐高百年史』の1967(昭和42)年の項には、「以上をもって、「岐高百年史」の終幕としたい」(617㌻)と記されています。1967年8月12日には林間学舎の起工式が行われ、1968(昭和43)年7月13日に完成しました。校舎を始めとした諸施設は〝岐高百年〟を前に充実に向かいました。

参考文献
「本館落成並九十年記念絵葉書(1966年)
「岐高百年史」清 信重著(1973年)


岐阜県立岐阜高等学校・同窓会事務局 岐阜市大縄場3-1 岐阜高校・校史資料室内