古往今来

2023(令和5)年10月

第13話 ■150年前の岐阜―舟運の長良川と橋

 

 江戸時代には、高富街道と岐阜の中心市街地(岐阜町)を行き来するには〝長良の渡し〟が必要でした。多くの荷物も船で運ばれていました。
 1871(明治4)年に岐阜県ができ、岐阜高校の母体である仮中学校は1873(明治6)年に開校しました。人や物の往来が多くなると、渡船で川を越えるのは次第に不便になり、市街地の拡大に伴って長良川にいくつかの橋がかけられました。

岐阜新聞の連載記事『岐高百年史』
挿絵の原画(上野たかし・画)(岐阜高校・校史資料室所蔵)

 1874(明治7)年、地元の有志15人が私費を拠出し合って設立した長良川船橋会社が長良川に初めての橋を架け、できた年から明七橋(めいしちばし)と呼ばれました。
 明七橋の南側は木橋でしたが、北側は水の流れが常にあったので、船を10艘余り並べて板を渡した船橋でした。それが当時の架橋技術と工法の限界だったようです。しかし欄干も照明具も取り付けられました。明七橋は有料で、料金(人:四厘、馬:九厘、人力車:一銭四厘)は渡船のときと同じでした。
 架設当時は橋の存在自体が珍しく、見物人が集まったので、芝居小屋や覗きからくりの店ができて付近は賑わいました。しかし、大水で水量が増すと橋が壊れたり橋船が流されたりしたので明七橋の寿命は短く、1884(明治17)年に長良橋梁社によって木造の桁橋に架け替えられました。二代目長良橋は最初の本格的な木橋(長さ285㍍・幅3.8㍍)で、初代と同じく通行料が必要でした。
 1901(明治34)年には三代目の橋を岐阜県が架設し、通行料は無料になりました。さらに、1915(大正4)年には四代目になり、初めての鉄橋になりました。鋼製橋になったことを受けて、路面電車(名古屋鉄道の前身の美濃電気軌道)が橋の上を走るようになりました。このように長良橋はめまぐるしく架け替えられ、現在の長良橋は五代目です。
 現在の長良橋の両岸には細長い倉庫のような建造物があり、そこから橋への取り付け道路(約100㍍)があります。倉庫に収納されているのは遮水ゲートで、倉庫がある場所が長良川の本堤です。長良橋の両岸部分は交通のために堤防が開けられている陸閘で、この辺りの堤防は、金華山側は山に接続し(山付け堤)、北側は川に面した旅館街の背後にあります。
 両岸にある二つの陸閘の間は堤外地であり、言い換えれば川の中です。堤外地には構造物を造ることができず、戦前の内務省の時代には、左岸は金華山下、右岸は雄総から橋の下流約200㍍までの区間は洪水時の遊水池として扱われていました。例外として、1934(昭和9)年に岐阜市の水道施設として左岸側に鏡岩水源地、それに隣接して護国神社が建てられました。
 しかし、江戸時代までは、堤外地に湊・川役所・問屋・商店などがあり、戦後になると遊水池の規制が空文化して鵜飼い見物客のために旅館・飲食店・土産物店などができました。昭和初期の頃には、左岸側、右岸側それぞれに200戸前後があり、約2300人が住んでいました。

長良川にかかる橋
 岐阜高校に近い忠節橋は1884(明治17)年にできました。初代忠節橋は、天神町通りの真北付近に架設され、通行料は人が五厘、馬・人力車は二銭でした。忠節橋は川湊があった四ツ屋に近く、北岸側の早田村、更には谷汲街道へとつながる要路となりました。近くには1220(承久2)年の造営とされ、県内では最も古い天神神社があり、街道は古くから賑わっていました。
 ところで、「忠節」という地名は、かつて岐阜城に居城した織田信長が城の四方を征討したとき、従軍して戦死した兵の子孫をこの地に住まわせて養育し、主君への忠節を町の名としたことによるとされます。
 初代の岐阜市庁舎は1889(明治22)年の市制施行に伴って忠節橋の南東にあたる今泉西野町(現・西野町公園)に置かれ、この場所が選ばれたのは忠節橋のその後の発展が期待されたことによると考えられます。
 さいごに、現在、岐阜市内の長良川にかかっている10の橋を架設順に記しておきます。(○数字は上流からの順)

 ④長良橋/1874(明治7)年、湊町-長良福光
 ⑨河渡橋/1881(明治14)年、江崎北-河渡
          (1946(昭和21)年開通の三代目までは「合渡橋」)
 ⑥忠節橋/1884(明治17)年、真砂町-早田
 ①藍川橋/1927(昭和2)年(鋼製吊り橋)、芥見町屋-加野
               1968(昭和43)年(鋼製トラス橋)
 ⑤金華橋/1964(昭和39)年、下新町-早田東町
 ⑩穂積大橋/1965(昭和40)年(上流側)、下奈良-瑞穂市穂積
                 1976(昭和51)年(下流側)
 ②千鳥橋/1969(昭和44)年(歩行者専用)日野北-長良古津
            1988(昭和63)年(自動車専用)
 ⑧鏡島大橋/1973(昭和48)年、鏡島-菅生
 ⑦大縄場大橋/1992(平成4)年、大縄場-東島
 ③鵜飼い大橋/2003(平成15)年、長良雄総-日野西

参考文献
「川と生きる 長良川・揖斐川ものがたり」久保田稔著(風媒社、2008年)ほか
「ふるさと・岐阜の歴史 150年の歩みを未来に」後藤征夫著(岐阜ルネッサンスクラブ、2017年)


岐阜県立岐阜高等学校・同窓会事務局 岐阜市大縄場3-1 岐阜高校・校史資料室内