
2026(令和8)年8月
岐阜高等女学校の沿革は次のように要約されます。
1900(明治33)年4月 設立認可、岐阜市立高等女学校
5月15日 鶯谷校舎で開校式
1902(明治35)年9月27日 岐阜県立岐阜高等女学校開校の指令
1903(明治36)年4月1日 岐阜県立岐阜高等女学校設置
6月25日 北野町校舎で開校式
1923(大正12)年3月14日 岐阜県岐阜高等女学校に改称
1942(昭和17)年3月15日 雲雀ケ丘に校舎移転
1948(昭和23)年3月31日 新学制実施、岐阜県岐阜女子高等学校設置
8月18日 岐阜県立岐阜高等学校(統合)
岐高女の同窓会「藍水(らんすい)同窓会」❶は1904(明治37)年に結成され、9月27日が創立記念日と定められました。その理由は、1902年のこの日、岐阜県立岐阜高等女学校を1903年4月に開校する指令が文部大臣からなされたことによります。
1969(昭和44)年に刊行された『藍水』は岐高女の同窓会「藍水くらぶ」の創立10周年を記念して編まれました。同誌に掲載されている年表(9㌻)の1904(明治37)年の項には、岐高女が「創立後早々その名も床し藍水同窓会を創めたのはこの年である」とあり、「市立高女開設当初より沿革をひもとく時は、創立はむしろ市立高等女学校発生の明治三十三年四月に遡るべきであると思う」という記述も見られます。
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岐阜市立高等女学校が設立された鶯谷町は瑞龍寺山(通称・水道山、156㍍)の西麓で、山麓と真宗大谷派岐阜別院(岐阜市大門町)の間には鶯谷中学・高等学校があります。同校の前身は1903(明治36)年に岐阜市西野町に設立された佐々木裁縫女学校で、その後、改称などを経て1926(大正15)年に現在地に移転しました。現在、瑞龍寺山には鶯谷トンネル(鶯谷隧道)と新鶯谷トンネル(新鶯谷隧道)❷が通っていますが、明治期にはトンネルはありませんでした。
それ以前に同地には岐阜高等小学校がありました❸。岐阜高等小学校は、鶯谷から農事試験場の跡地(岐阜市京町)に新築移転し、岐阜市立高等女学校(在籍生徒数約200人)は鶯谷の校舎の二階において開校したのです。

上の写真は今小町の交差点です。画面右方に「東別院」の石柱があり、左方の黄色の標識には「この先直進 鶯谷トンネル」と記されています。ここから東進すると鶯谷町に至ります❹。
「古往今来」の筆者による註記
❶長良川は藍川(らんせん)、木曽川は蘇川(そせん)、山紫水明の岐阜県は飛山濃水(のうざんひすい)、岐阜市は華山藍川(かざんらんせん)とも呼ばれ、「藍水」の名はこれらに由来するようです。
❷鶯谷トンネルは、官公庁街と岐阜市東部を結ぶ目的で1918(大正7)年に開削が計画されましたが、このときは実現せず、戦後の1947(昭和22)年に開通しました。開削工事は1941(昭和16)年に始まり、1945(昭和20)年の岐阜空襲の際には工事中のトンネルが防空壕として使われました。その後、交通量増加や排ガスへの対策として南側に並行して新たなトンネルが計画され、1972(昭和47)年に開通しました。新鶯谷トンネルの開通に伴い、鶯谷トンネルは東進専用、新鶯谷トンネルは西進専用の一方通行となりました。
❸高等小学校は、1886(明治19)年4月に公布された小学校令(第一次)によって尋常小学校と共に設置され、1941(昭和16)年4月に施行された国民学校令に基づいて国民学校高等科が設置されるまで存続しました。
❹この道は、1903(明治36)年に当時の東宮(後の大正天皇)の行啓が取り沙汰されて美江寺町から大門町にいたる新道が「巡行お道筋」として整備され、以後は「お成り道」と呼ばれました。
参考文献
「會誌 記念號」藍水同窓會編(1932年)
「藍水」藍水同窓会(1969年)
「岐高百年史」清 信重著(1973年)
「学園のあゆみ 80年の歴史と伝統」学園のあゆみ編集委員会編(鶯谷女子高等学校、1983年)
岐阜県立岐阜高等学校・同窓会事務局 岐阜市大縄場3-1 岐阜高校・校史資料室内
