
2025(令和7)年4月
熊谷守一は1880(明治13)年に岐阜県恵那郡付知村(現・中津川市付知町)に生まれました。同地は古くから信仰の対象であった御岳への経由地として、商家や宿場が立ち並ぶ恵那郡最大の町でした。飛鳥時代の開山ともされる御岳は、江戸時代には全山が尾張藩領となって一般者の入山が禁じられました。しかし、1782(天明2)年に長野県側の黒沢口、1791(寛政3)年に岐阜県側の小坂口が開かれると、御岳信仰が盛んになりました。明治期になると付知には木材伐採のために数百人が入り、林業の町となりました。
熊谷が生まれた故郷の付知町には、画伯が96歳であった1976(昭和51)年に熊谷守一記念館が設立されました。次いで2015(平成27)年9月には熊谷守一つけち記念館が開館し、熊谷守一記念館は、次女の熊谷 榧(かや)の作品を展示する熊谷榧つけちギャラリーとして生まれ変わりました。
「メディアコスモス新春美術館 没後40年 熊谷守一展」が2017(平成29)年に開催されました(1月7日~2月5日)。その図録に収載された市川瑛子氏による『熊谷守一の生涯』から、上京までのことを要約します。
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父の孫六郎は、幕末から維新にかけて旧来の価値観が崩れゆく中、時流を得て行動し、世に出た実業家であり政治家の一人でした。孫六郎は、岐阜で製糸工場を経営し、岐阜に市政が施行された1889(明治22)年には初代の市長に就任し、後に衆議院議員にもなりました。守一は熊谷家の三男四女の末子で、父には製糸業を手伝わせたいという思いがあったのか、守一が3歳のとき、付知から岐阜にある自身の工場に隣接する屋敷に呼び寄せました。
17歳で上京するまで守一を育てたのは、工場で権力をもつ父の妾でした。幼少期の守一は、90畳の大広間に独りで住まう生活で、女中が運んでくる食事をとり、工場従業員者からは諂(へつら)われ、妾の子とその家庭教師らからは競争意識を顕わにされました。「そんなことで、私はもう小さいときから、大人のすることは一切信用できないと、子供心に決めてしまったフシがあります」という熊谷の言葉からは、後に彼が、周囲がどのように見るかではなく、自身がどのように見るかで捉えようとした眼の萌芽を感じさせます。
熊谷が絵を描くことを始めたのはこうした岐阜時代でした。岐阜中学校で、「お前の繪は磊落に書いてある。磊落だから良い」と誉められたことが心に残ったようです。1897(明治30)年には父の方針に従って上京しました。当初は正則尋常中学校(現・正則高等学校)、次いで欧文正鵠学館(通称・サマーズ英語学校)に通いました。しかし、異なる分野の学びは画業に専心したいとの気持ちをかえって高め、彼は上京して早々に父に「絵をやりたい」と申し出ました。
父は、生計を立てることが難しい画家という職業に就くことに反対し、道楽でやればよいではないかと説得もしましたが、熊谷の決心はかたく、父がつい口にした条件「慶應義塾に一学期間通えばよしとする」に従い、慶應義塾に普通科二年の三学期に編入して一学期を過ごすことで父の承諾を得、本格的に美術を始めたのです。
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市政施行時の1889(明治22)年に制作された岐阜市の地図には「岐阜蚕桑試験場 熊谷孫六郎」の文字があります。同地図には、ぎふメディアコスモス(司町)の付近が詳しく描かれ、岐阜県庁、岐阜県立病院、岐阜県尋常師範学校などが見えます。また、現在、岐阜市民会館、岐阜地方検察庁、岐阜市消防本部、岐阜中警察署、中部電力岐阜支社などがある一帯には、監獄署が1874(明治7)年に岐阜県庁と同時に建設されました。
熊谷は尋常師範学校の東側にあった附属小学校に通いました。そして岐阜高校の前身であり、熊谷が3年間通った岐阜尋常中学校は、この時代には、現在の岐阜県立岐阜盲学校(北野町)の付近にありました。 岐阜市にある佐久間町という町名は、鶯谷高校の創設者佐々木とよ(1873~1951)から「佐」の字と熊谷孫六郎から「熊」の字をとって合わせ、「熊」を「久間」と変えて「佐久間」としたことによります。この頃の経緯について、『学園のあゆみ80年の歴史と伝統 鶯谷女子高等学校』には、同校の校地取得に関するくだりで、「移転のやむなきにいたり西野町の南なる元市長熊谷孫六郎氏(岐阜市初代市長)の製糸工場の敷地および廃舎を沢田文次郎氏の多大なる尽力により譲り受け、全く独立自営の校地校舎を有するにいたった。明治41年5月工事に着手、(中略)当時はまだ正式の町名はないので南西野町など勝手に呼称していたものが、にわかに戸数が増加し町名を付することになった。土地の歴史を考え、佐々木が熊谷の跡を開拓したというので佐久間町と付せられたのである」とあります。

(電柱広告の巻看板、令和6年10月・撮影)
参考文献
「学園のあゆみ80年の歴史と伝統 鶯谷女子高等学校」「学園のあゆみ」編集委員会編(1983年)
「「メディアコスモス新春美術館 没後40年 熊谷守一展」展覧会画集」市川瑛子企画制作、新春美術館実行委員会(2017年)
「平凡社ライブラリー325 へたも絵のうち」熊谷守一著(平凡社、2018年)
岐阜県立岐阜高等学校・同窓会事務局 岐阜市大縄場3-1 岐阜高校・校史資料室内