古往今来

2026(令和8)年10月

 石材業や育英事業で知られる矢橋亮吉(1867~1946)は、1904(明治37)年に岐阜市八ツ寺町1丁目に住宅を購入し、書生薫陶の道場「楠堂」(なんどう)としました。楠堂は、苦学生の援助などにも貢献しましたが、戦災で焼け、現在では旧・岐阜市立図書館の向かいにあるクスノキ(楠)の巨樹とその根本に建つ「楠堂之跡」の石碑が歴史の証人です。

クスノキと石碑「楠堂之跡」  (令和7年6月撮影)

 この地には、1927(昭和2)年に矢橋氏の援助で岐阜簡易図書館分室が開設され、後に岐阜市がその一部を譲り受けて1958(昭和33)年に岐阜市立図書館が創設されました。同館は、2015(平成27)年にぎふメディアコスモスに移転して岐阜市立中央図書館となり、同館には矢橋氏を記念する「楠堂文庫」があります。

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 戦後日本の経済復興の中で電話の需要が高まり、それに対応するため旧・電気通信省は矢橋氏からその土地の一部を譲り受け、この地に1955(昭和30)年に電話局が置かれました。
 電気通信省は、1949(昭和24)年にそれまでの逓信省が郵政省と電気通信省に分離されて設置され(郵電分離)、その3年後の1952(昭和27)年に現業部門は日本電信電話公社に、行政部門は郵政省や運輸省に引き継がれました。  楠堂を象徴するクスノキは、道路整備で電話局側の土地に属することとなりましたが、楠堂の元書生からの要請に応えて保全されました。岐阜市は1972(昭和47)年度に保存樹に指定し、現在ではNTT西日本が保存しています。

「楠堂」メモリアルマンホール(令和7年6月撮影)

 2016(平成28)年4月には同地で『「楠堂」メモリアルマンホール設置記念式典』が開かれました。マンホールは、クスノキに面したNTT八ツ寺ビルの北側道路に二つ並んで設置されています。意匠は同じで、「楠堂之跡」の石碑とクスノキが図案化されています。


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