2022(令和4)年12月
第3話 ■熊谷守一の版画「椿」
2013(平成25)年8月、ある日の午後に柳ケ瀬画廊の市川博一氏が来校され、校長室にある熊谷守一の作品「椿」を鑑定して、原画ではなく版画であることを確認されました。その際、市川氏に同行された金武 恭氏(昭和31年卒)は,この作品が創立100年を記念して画伯から贈られた経緯について、2008(平成20)年10月に行われた昭和31年卒3組同窓会の際に作成された冊子に記しておられます。
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熊谷は付知に生まれました。岐阜市内の師範学校附属小学校を経て岐阜中学校に入り、1897(明治30)年、中学三年生の時に絵を志して上京しました。
時は流れて1973(昭和48)年春、画伯と親交があった藤村耕一元教諭は、当時の佐光義民校長を伴って熊谷守一邸(東京都豊島区千早町)を訪れたのです。
金武氏は,このときの熊谷邸での談話の様子を、藤村先生が岐阜へ帰郷された翌年の春に父と共に聞かされ、その内容と状況を今も鮮明に記憶しておられるとのことでした。
藤村「ご出身の岐阜高校は今年創立百年になります。
母校の百年記念に格別な祝い品を戴けんかと、佐光義民校長とお願いに参りました」
佐光「佐光です。特別なご配慮を頂きますよう」
熊谷「岐高百年?わしは岐阜中学卒業しとらん」
藤村「卒業はしとられんけど、三年まで在学しとらっしゃったで」
熊谷「それはそうじゃが」
両者平身低頭,ひたすらお願いする。
熊谷「ふむ……」
三者暫く沈黙。やむなく世間話などに話題を転ず。
半時間経過。出直し覚悟で辞去の挨拶。立ち上がりかけた、その時。
熊谷「せっかくおいでなさった。祝い品に相応しいかどうか。どうぞこれを持ってかっしゃい」
『百年祭の椿』の誕生である。熊谷画伯93歳,藤村先生81歳。
校史資料室には、熊谷守一に関する次の書籍を所蔵しています。
「へたも絵のうち」熊谷守一著(日本経済新聞社、1972年)
「熊谷守一の書」(求龍堂、1973年)
「熊谷守一画集」(日本経済新聞社、1974年)
「画仙熊谷守一」(岩波書店、1976年)
「獨楽 熊谷守―の世界」藤森 武著(講談社、1976年)
「熊谷守一自選水墨画集」(神無書房、1978年)
参考文献: 「へたも絵のうち」熊谷守一著(平凡社、2018年)
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