古往今来

2023(令和5)年9月

第12話 ■高等女学校と岐阜高等女学校

 

 1871(明治4)年、文部省(当時)は「官立女学校」を東京に設置することを布達しました。官立女学校は、1872(明治5)年3月に開校し、同年11月に竹平町(現・千代田区一ツ橋1丁目)の新校舎に移って「東京女学校」と改称しました。入学年齢は8歳から15歳までで、1873(明治6)年の文部省第一年報によると、生徒数は計38人、修業年限は6年でした。
 府県立の女学校としては先ず京都府の例が挙げられます。京都府では1872年に九条家河原町別邸(現・京都市上京区)内に「新英学校及女紅場」が開校し、英国人女性教師による英語のほかに裁縫・手芸・読み書き・算術などの授業が行われました。同校は、1874(明治7)年に「英女学校」、1882(明治15)年に「京都府女学校」と改称され、1901(明治34)年に京都府立第一高等学校(現・京都府立鴨沂高等学校)となりました。
 寺子屋が庶民の教育を担った江戸時代、就学率は7割を超え、多くの寺子屋では男女共学で〝読み書き算盤〟の教育が行われていました。明治10年代になると、小学校を卒業した女子の人数が次第に増加し、彼女たちの中に上級学校への入学希望者が現れました。
 1872年の学制は国民皆学を目指した制度で、女児小学校もありました。女児小学校では尋常小学校の教科のほかに手芸なども教えられましたが、中学校以上の女子の学校に関する方針は示されませんでした。1893(明治26)年の文部省訓令・第八号「女子教育ニ関スル件」によると、学齢に達した児童の修学率は50%強、女子児童については約15%でした。女子の就学率はなかなか上がらず、女児の就学率向上のために保護者に就学促進が働きかけられ、地方によっては女子のための実用的教科として裁縫を加えることなどが推奨されました。
 東京女学校は、幾多の変遷を経て1880(明治13)年に東京女子師範学校附属高等女学校となり、以後、文部省では女子の中等学校に「高等女学校」の名称が用られました。次いで公布された教育令には「凡学校ニ於テハ男女教場ヲ同クスルヲ得ス」と定められ、女子には中学校入学が認められなくなりました。
 1891(明治24)年の中学校令改正で、同第14条に女子中等教育の規程が設けられ、高等女学校が初めて制度化されました。これを受けて1895(明治28)年に「高等女学校規程」、1899(明治32)年には「高等女学校令」が公布されました。この時代の女子中等教育は、貞淑温和な婦徳の育成に重きが置かれ、高等女学校入学者は品行端正、体質健康で、小学科六年の課程を終えた以上の学力を有する者とされました。

 

 高等女学校令の公布を受けて、岐阜県内では先ず大垣で県立高等女学校設立の機運が高まり、岐阜市内では稲葉郡岐阜町と加納町が名乗りをあげました。こうした中で1900(明治33)年4月、鶯谷にあった岐阜市立高等小学校女子部の建物の二階を岐阜市立高等女学校として授業が始められました。本科(入学資格は高等小学校二年修業、修業年限4年)は一年生60人、二年生34人、技芸専修科(入学資格は高等小学校三年修業、修業年限3年)は一年生10人、二年生29人、三年生11人でした。
 続いて6月には大垣に市立高等女学校が開校し、加納高女は1916(大正5)年に加納町西加納(現・加納大手町)に岐阜県女子師範学校に併設する形で開校しました。
 『會報 岐高女創立五十年記念號』にある〈岐高女の歩んだ道〉の明治33年の項には学校創設時の経緯が記されています。

――岐高女の淵源は今より丁度半世紀前大正天皇御成婚のこの年、岐阜市立高等女學校として岐阜市鶯谷に發足したのに初まる。現鶯谷高女のあの古ぼけた校舎-以前は岐阜商業であつたが-には當時岐阜高等小學校女子部(男子部は現京町小学校の所に)がおかれて居た。この岐阜高等小學校女子部の二階を間借りして乏しい設備で約二〇〇名の生徒で開校したのである。

岐高女創立50年記念号とされた同窓会会報(1950(昭和25)年9月刊)

 1903(明治36)年4月に岐阜市立高等女学校の全校生徒は北野町の新校舎に移転して校名を岐阜県立岐阜高等女学校とし、6月に開校式が行われました。北野町校舎の時代には1922(大正11)年に創立20周年、1932(昭和7)年に創立30周年を迎えましたが、その後、社会には戦時色が次第に濃くなりました。雲雀ケ丘校舎に移転した1942(昭和17)年に第二学期から英語授業が中止され、1943(昭和18)年には加納高女に続いて挺身隊が結成されました。
 戦後、1946(昭和21)年には同窓会父兄会合同復興促進会ができて学校の復興再建が急がれました(同会は1949(昭和24)年に解散)。そして1948(昭和23)年3月、岐阜県岐阜女子高等学校への改称(岐中は岐阜県岐阜第一高等学校と改称)を経て両校は統合し、同年8月に新制高校としての岐阜県立岐阜高等学校ができたのです。

参考文献
「會報 岐高女創立五十年記念號」(岐阜縣立岐阜高等學校同窓會、1950年)
「岐高百年史」清 信重著(1973年)
「女学校と女学生 教養・たしなみ・モダン文化」稲垣恭子著(中央公論新社、2007年)
「高等女学校と女性の近代」小山静子著(勁草書房、2023年)


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