古往今来

2024(令和6)年1月

第16話 ■創立151年の春に

 

 創立150周年を記念するモニュメントが同窓会から岐阜高校に寄贈されました。玄関から東へと伸びるプロムナードに沿って列柱状に並んでいます。次の写真は掲揚塔近くにある銘板です。

昨年9月26日に行われた除幕式で、設計者である東京大学の大野秀敏名誉教授(昭和43年卒)は、挨拶の中でモニュメントについて次のように説明されました(要旨)。

――昨年(令和4年)のちょうど今頃に記念事業として母校に寄贈されるモニュメントの設計依頼をいただきました。とても光栄なことであり、二つ返事でお引き受けしました。私は今の校舎の設計もしましたので、その校舎にふさわしい記念碑を添えられることに喜びも感じました。
 いろいろな案を検討し比較しました。その過程で、そもそも記念碑とは何かということにまで遡って考える必要性を感じました。記念碑の典型的な例は故人が生きた証でもあるお墓です。よく知られた歌を記念した歌碑も世の中には多くあります。それらはいずれも過去を振り返るよすがです。老人には良いかもしれませんが、ここは若い方々が集う学校です。
 次に、高校にとっての150周年は何かを考えました。私が勤めました大学ですと、研究という成果物があります。では高校の成果物は何かと考えますと、それは「人」ではないでしょうか。創立150年の意味は、150年間の長きにわたって人を世に送り出してきたということです。ただ、現役の高校生たちにとって今から150年前は明治時代になりますから、想像しにくいかもしれない。しかも、岐高はこれからも、多数の優れた人を送り出してゆきます。
 そうこう考えるうちに、これからの150年にも思いを馳せることができるモニュメントを作れないかと考えるに至りました。来し方も行く末も感じられるモニュメントというのは、これまでなかったんじゃないかと自画自賛した次第です。
 ここにある列柱には、150周年で折り返して300周年まで10年毎の数字と西暦年が刻まれています。例えばおじさんが卒業したのはこの年なんだな、などと過去のことを思うことができる一方で、30年後は4番目の柱で、そのとき自分は47歳なんだな、というふうに将来についても思うことができます。こうして16本の柱の列になりました。柱の足下には小さい照明も配置しました。
 どんな時代にも個性がありますので、時代を表す柱の一本一本に個性を与えようと考えました。そこで柱の側面に刻みを入れました。これは校歌の歌い出しの一節を、ある方法で記号化したものです。私がこの案を説明したとき、ダ・ヴィンチ・コードみたいですね、という感想がありました。さて校歌はどのように表されているか、今ここでは種明かしをしませんので、皆さんで謎解きをしていただければと思います。

次の図はモニュメントの配列を示したもので、番号は玄関に近い方から数えたものです。それぞれの柱のプロムナード側の面(図では太線で示した)には校歌の旋律が刻まれています。

新たなモニュメントが加わったのを機に、現在校地内にある主な記念碑などをご紹介します。

 1932(昭和7)年 胸像「道常無為無不忍」(昭和7年卒業生寄贈)/駐車場東
 1969(昭和44)年 石柱「雄心の池」(旧校舎中庭の池)/駐輪場東端
 1973(昭和48)年 関谷仙三氏像/野球部ベンチ(一塁側)
 1980(昭和55)年 石碑「百折不撓」(昭和54年度卒業記念)/教室棟3の植栽内
 1981(昭和56)年 石碑「自彊不息」(昭和55年度卒業記念)/教室棟2の植栽内
 1983(昭和58)年 石碑「望雲」(創立110周年記念)/教室棟1の植栽内
 1983(昭和58)年 校歌碑(創立110周年記念)/掲揚塔付近
 1993(平成5)年 さざれ石(創立120周年記念)/正門脇
 2011(平成23)年 新校舎完成記念碑(昭和13年卒「寿三会」寄贈)/玄関の西
 2011(平成23)年 プールの記念碑(水泳部OB寄贈)/玄関の西
 2023(令和5)年 創立150周年記念モニュメント/プロムナード


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